どれだけ夢を見せたら女は体を許すのか
とまるで女の人を知り尽くしたみたいな感じで書いているが、あくまで俺のスタイルで仮説と検証を繰り返せるもののうちの仮説の一つ。
俺が提唱するのは女の人は男よりも夢を見たいということ
女の人は現実的で、男は夢見がちとよく言う
世の中の女の人たちは見た目、年齢、妊娠、結婚、仕事と女の人としての価値に、毎日同僚の女と張り合い、男からリアルな値踏みがつけられ、と疲れ果ててしまっている。
そして時間は残酷にも止まることはなく、毎日自分の価値が下がっていくのを実感しながら過ごしていくのだ
彼女たちは本当はどうありたいのか。
そんなにもリアルを突き付けられ、仲間とリアルな年齢や年収などの数字の話をし、いくら現実的とはいえ、リアルにリアルを重ねたいのだろうか?
少し考えればわかることだが、彼女たちは夢を見たいのである。ディズニーのプリンセスみたいにお姫様になりたいし、素敵な白馬の王子様を待っているのである。
夢を見たい、素敵なドラマのヒロインになりたいという気持ちが心の奥底で眠っている。
だからその夢みたいという欲求が存在していて、その欲求を満たせるかもしれないという期待のために、現実から離れ非現実を求めようとする。
その結果クラブにいったり、ストリートナンパについていったり、お金持ちのおじさんとデートにいくのである。
この現象は彼女たちがどれだけ夢を見たいかによって、彼女たちなりの足きりがあり、そのナンパやお金での非現実の提供が足きりを超えると女の子たちは体を許すと思われる
つまり彼女たちにとってパパ活もナンパについていくことも同じということになる
しかしお金の場合、非現実感の提供における限界効用逓減の法則のスピードがナンパによるそれとは比べ物にならないくらい早い
そしてお金で非現実感の提供をしている男のほうに女の人のそのニーズをお金以外で埋めることができないものが多い
その二つの結果、彼女たちはパパ活で病むのだ。
つまり女にもてたかったら女の人の潜在欲求である、ヒロインになりたい
というニーズを満たすよう努力すべきであり、それの解決方法に種類があるだけで結局はお金で落とすも、ナンパで落とすのも女にとっては関係ないということなのである。
そして男が彼女たちに提供する、非現実のストーリーが、彼女たちの夢をかなえない、または非現実が現実に寄っていてしまった場合、そのストーリーでは潜在欲求を満たせず彼女は冷めてしまう
よってモテの軸は非現実と現実の軸で決まってくると2年間の女遊びを通じて学んだ。
男は非現実のストーリーの登場人物として、提供する物語をどれだけ素敵なものにできるかによって価値がきまる。
そして逆もまたしかり。